須藤家は岩手県最南端の一関市花泉町で十四代に亘り米作りに精通してきた米農家です。
現在では十五代目が就農し、日々須藤家の米作りを学んでおります。
これから先も自然と技そして『米のために耕し続ける心』を持ち続け、皆様に安全で美味しいお米を提供できるよう日々向上に努めて参ります。
須藤家の理念
社名 | 株式会社 須藤ライスセンター (カブシキカイシャ ストウライスセンター) |
所在地 | 〒029-3104 岩手県一関市花泉町日形字払田22 |
TEL | 0191-82-1687 |
FAX | 0191-82-2998 |
代表 | 代表取締役社長 須藤 和弘 |
スタッフ | 従業員 5名 季節雇用2名 パート3名 |
経営規模 | 自作地15ha/小作地17ha/作業受託8ha 合計 40ha (うち転作13ha) 牧草地5ha |
事業内容 | 稲作全般、農作業受託、水稲用育苗土「須藤の土」販売、水稲苗販売 須藤ライスセンター(乾燥調整、色彩選別機) 和牛繁殖牛30頭 |
施設 | ライスセンター、育苗ハウス7棟、牛舎20頭規模1棟、10頭規模1棟、堆肥舎1棟 |
機械 | トラクター(100、75、72、60、50、46、33)PS 田植機(8条、6条) コンバイン(6条) 牧草作業機一式、4t積載車、2tダンプ、軽トラック、ボブキャット2台、バックホウ1台 乾燥機(53、53、50、50、40、21)、籾摺機6インチ、フレコンスケール、色彩選別機 |
アクセス | 大きな地図で見る |
元禄 | - | 須藤家の歴史は300年以上さかのぼる。 |
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昭和 | 初期 | 11代目『寅治郎』 (さだの)地域農業発展のために畜産事業を営む。(旧日形村へサイロなど普及) |
昭和 | 10年 | 12代目『吉雄』 (久美子)稲作3.6ha作付・乳牛6頭飼養。 |
16年 | 太平洋戦争開戦 (吉雄、中国へ) |
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20年 | 男手がなく残された女手で農地を守った。 (太平洋戦争終結) | |
22年 | 農地改革(農地解放)3.6haあった土地が1.3haになった。 | |
32年 | 13代目『誠』農業を継ぐ。 | |
36年 | 誠結婚(良子) |
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38年 | ヤンマー耕耘機を導入。他の田の作業受託を始める。 |
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42年 | 乳牛から黒毛和牛4頭に切り替える。 |
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44年 | ヤンマートラクター27psを導入、作業受託の規模拡大。 | |
47年 | ヤンマーコンバイン(4条)導入。 |
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48年 | 稲作2.8ha・和牛繁殖20頭へ、岩手農業賞畜産部門を岩手県知事より受賞。 オイルショック |
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52年 | JAより水稲苗の受託を受け水稲用育苗ハウス3棟を建てる。(面積225坪) | |
54年 | 水稲苗の受託拡大・水稲育苗土「須藤の土」販売を開始。 | |
55年 | イセキ大型トラクター(50ps)導入。 | |
56年 | 3人共同で5.5ha草地開墾。 | |
57年 | 20頭規模の牛舎を建てる。 | |
58年 | 14代目『和弘』結婚(ふみ子)、農業を継ぐ。農地を8.7haとする。 |
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59年 | 5.8ha小作(農地借入)稲作総面積14.5haとする。 | |
平成 | 5年 | 7.1ha小作(農地借入)稲作総面積21.6haとする。 平成の大冷害(収量が304kg、作況指数は56) |
6年 | 減反政策の規制緩和により須藤の土の需要が高まる。 | |
7年 | 作付面積拡大により乾燥調整をJAカントリーへ依頼。 | |
8年 | 無人ヘリ岩手大会第1位(和弘)、岩手県知事より受賞。 | |
17年 | 岩手県立農業大学校プロジェクト発表、最優秀賞受賞(俊)。 ヤンマーコンバイン(6条)GC695導入 |
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19年 | 農業部門意欲ある担い手賞(和弘・ふみ子)、岩手県知事より受賞。 | |
21年 | ミニライスセンター設立(施設能力 乾燥調整3.5ha/日)、玄米フレコン出荷開始。 ジョンディアトラクター(75ps)JD6100導入。 |
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22年 | 水稲用育苗ハウス4棟建てる。(面積421坪) 15代目『俊』結婚(律子) |
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23年 | 大阪府民のいっちゃんうまい米コンテスト 岩手県一関市産ひとめぼれ「須藤 和弘」優良賞受賞(全国2位) |
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24年 | 稲作40ha・和牛繁殖30頭 | |
25年 | (株)須藤ライスセンター設立 |
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